INTERVIEW

「批判はダメ。でも反論はウェルカム。反論が議論のたたき台になる。」

株式会社Braveridge CTO小橋 泰成さん

公開日:2018.12.18

エンジニアインタビュー第2弾は、福岡市のIoTでのモノづくりを代表する一人として、Braveridgeの小橋さんを選ばせていただきました! 約2時間半にも渡ったロングインタビューで、内容もとっても熱いものでしたので、(これでもかなり削ったのですが(笑))早くも掟破りの長さとなりました。みなさん、ぜひ心して読んでください!!

-小橋さん、今日はよろしくお願いします。

小橋氏
俺めっちゃ口悪いけど大丈夫かな~? 知らんよ~ ?  () 。

九州松下電器 入社
私は元々エンジニアからのスタートなんだけどね、日本のエンジニア環境の悪さって、すごく根深いと思うんですよ。

私が九州松下電器に入社した30数年前、会社の中で回路図を白紙から描けるエンジニアは、全体の5%程度だった。一流企業でもそうだったのよ。例えば、トランジスタっていう最小単位の部品があるんですけど、足(ポート)が3つある。このポート名称をちゃんと言えて使いこなせるエンジニアは今でも半分もいないと思う。びっくりするでしょ?

当時、私の居た九州松下電器の屋台骨を支えていたのが「無線課」というところで、当時そこのグループが作った製品は、アメリカ松下電器販売の売上の6割、九州松下の全体売上の7割を叩き出すところだった。
ただ、仕事の内容はあまりにも凄まじかった。めちゃくちゃ忙しくて土曜出勤も当たり前で、でも残業代は40時間程度しか請求出来ず、しかも上司がすごく怖い(笑)。オマケに組合もデタラメで激務の部署は見なかったことにしてるし(笑)。
配属先決定前には、同期 200人の中でも、無線課にだけは行ったらいかんという噂が広まっていたくらい(笑)。 わかります? 入った会社の屋台骨を支える部署に行くべきじゃ無いって、スタートからおかしいでしょ(笑)?

でも自分は「若いときには旅をしろ」の精神で全然平気だったし、自分自身「何かをなし得たい」という気持ちがあったから、自分がやったことない「無線課」に行こうと思って志願したんよね。本当は無線を勉強して、違法電波出しまくって10km位通信できるトランシーバーを自分で作ってみたいとか思ってた(笑)やってないですよ!!!(笑)

入ってみたら、噂通りに想像を絶する部署だった(笑)。

私は19歳の時に親父を亡くしたので、「仕事というものはどういうものか」って事を父から教えてもらえなかった。しかし、松下に入社したら、きっと立派な先輩たち沢山いるから、そういう立派な出会いがあるだろう。きっとその答えを上に立つ諸先輩達が教えてくれるのだろう 期待していた。
ところが、そんなことなど全然なかったんよね。自分が最も納得出来ない環境だったのよ(笑)。
有給休暇の承認をもらおうとしたら怒られたし、課長がコーヒーを机で飲んでいたので、自分もカップコーヒーを机に置いてたら、先輩から「課長はいいけど、新人はいかん」と言われた。「はっ??」って(笑)。他にも、ネクタイ曲がってるだけで裏に呼び出されて説教されるわ、上履きの色で説教されるわ(笑)。
そういう組織で悶々としながら、ストレスがたまったままで一生続けるのはたまらないと思った。
だから配属になってすぐに、この縦社会の組織をぶっ壊してやろうと思ったんよね。フラットな組織にしたくて、本当に闘ってきたのよ。先輩や上司や組合にも噛みつきまくったんよね。しかし、良い環境にならないと、自分が会社を去る以外に方法が無いでしょ。それはそれで、逃げ出すようで嫌だったし。

例えば、私(26歳の時)と後輩と先輩の4人でやってきた地獄のような大物開発プロジェクトが、漸く量産認定が降りたんですよ。もうヘトヘトになったので、4人で分散して休みを取ろうとしたんですよ。すると、課長が「お前らがぼーっとしてるから有給とれんのだろ!」って暴言吐かれて。そこで、すかさず私が、「休み取るって言ってるだろう!がこの野郎!」って言い合いになって大騒ぎに(笑)。まあ、こんな柔らかい騒ぎじゃないんだけどね(笑)。
それでね、課長が帰った後に、勝手に課長の引き出しから判子を持ち出して、勝手に判子押して(笑)、4人分の有給カードを課長机の山積みの資料の中にバレない様に紛れ込ませた(笑)。そしたら、翌月曜日にバレちゃって(笑)。
(課長)「これ何や?」。
(私)「有給カード」
(課長)「誰がハンコ押したとや」
(私)「あんた、先週押したやん!」
(課長)「俺は押しとらん!」
って大喧嘩になって(笑)。そりゃ~課長は判子押してないからね(笑)、俺が押したっちゃけん(笑)。
その時は、私も素直に認める訳にもいかんので(笑)。最後はね、「お前『おつかれさま』の一言だって従業員に言ったことあるか!? 皆に土下座して謝れ!」って課長に怒鳴って(笑)。スチール机もボコボコに蹴りまくって(笑)。それぐらい仲が悪かったのよ。
この上司だけじゃなくて、面倒クサイ先輩に対しても同じ様な対応でね。本当に嫌われてたと思う(笑)。面倒な後輩やな~って(笑)。
(※最後にちゃんとオチがあるので、そのまま読んで下さい)

言葉にできない信頼関係
課長とは犬猿の仲だと周りでも有名でね。部長も認識してたほど。ところが、入社して2年半目だったかな~、突然課長から呼び出されたのよ。そして「今日もやったるぞ!」と覚悟して行ったらね、おもむろに、
「お前に、今日から10カ月やる。10カ月で、カスタムICの開発責任者になれ!」って。
他の先輩を差し置いて、自分が任されたんですよ。 「は??」ってなって(笑)。
カスタムICってね、当時の生産数量でいうと月に700万個消費されるんよ。コードレス電話の心臓部になるIC。責任重大で、それをやれと言われた。
そして、「一言も文句を言わんから、10カ月自由に使って立ち上げろ!」って。
余りにも責任が重いので、最初はちょっと自信無いわ~と思った。そこで、自分に足りない知識を急遽補充して判断したかったので、即答せずに3日考えさせてくれと答えたのよ。
それで、松下の数少ない優秀なエンジニアの先輩に自分の不足している技術知識を聞いて回った。そして、「ああ、これなら俺にもできる」って思った。
そして、3日目に、課長のところに行って、「やります、やらせてくれ!」って言った。
そしたら本当に、10カ月間、一言も文句言われなかった(笑)。もの凄く仲の悪かった課長がチャンスをくれたんですよ。毎日にらみ合いしてる様な関係の上司ですからね。それを、先輩を差し置いて、私にやれと。

その時、自分としては、そんな大事な仕事を任されている以上は、ちゃんと課長に報告する義務はあると思ってた。なので、その大嫌いな課長にも逐次報告していた。日に三回も報告することがあった。
毎日の様に課長の机の上で二人で議論しあってね。
課長が「これどげんなっとうとや?」って聞くから「これはこうこう、これでいいと思うんよ」って返したら、「これいかんやろう! ここの減衰は60デシベル取らないかんやろう!」「違うって、課長勘違いしとるのよ。計算間違ってるんよ!!。減衰は25デシベルで良いのよ!」みたいな会話が毎日。

そんな風に、大嫌いな課長と二人で膝詰めて毎日議論をやってた。そう言う場面を周りは、「またケンカしよる!」って思ってたらしい(笑)。元々仲の悪い私とその上司は、いいモノを作ろうっていう、技術視点で議論してたんよね。繰り返し!繰り返し!これは楽しかった。大嫌いだったのに(笑)。
すると何時の間にか、もの凄く仲が良くなって(笑)。免許持ってないその課長を自宅まで帰りに送ったりとか(笑)。周りは知らんけどね(笑)。

結果、ちゃんとプロジェクトを立ち上げたのよ。
その開発を通じて、若い時の自分の感覚と、上に立つ人(上司)の感覚って違うんやなって思った。大嫌いな上司でも、ちゃんと見る上司は見てるんやな~と。
後に、米国駐在時代の上司に聞いたのが、「小橋な~、給料査定の会議ではな。お前の課長が『小橋が同期の中で給料が一番高くないと許さん!』ってえらく頑張ってたんよ!お前な~知らんかったやろ!?」って。
自分は師弟関係って気にしないけど、言葉にできない信頼関係って、あると思うんですよ。
この時の私と課長の関係って、その後の人生に大きく影響したと思うんですよね。
今、自分が思ってる感情って、時間や環境次第で全く逆の結果を生む事もあるんやな~と(笑)。
今、そういう師弟関係のようなのが薄くなってると思う。技術の分からない上司が増えてるから。若いエンジニアも、上に技術力が無ければ、なかなか伸びないですよ。上も頑張らないとね。

上位5%だけの会社を達成した
自分は独立したときにね、目標があった。「選ばれし5%のやつだけの会社を作りたい」
昔からよく言われている「2:8の法則」ってあるじゃないですか。2割の優秀なやつを集めても、結果その中の8割が仕事しなくなるよって。
でも私は、上位5%の人間が集まると、そこから「8割」は出てこないって信じてるんですよ。

実は今年の4月、やっとそれを達成したんです。うちの会社、今、技術力が上位5%だけの集団なんですよ。5%の人間同士で仕事すると、びっくりするぐらい皆が伸びる。皆が、前向きで、お互い補完しあう。
良く、8割の人達の給料が安かったり、解雇になったりすると「可哀想~」って思うじゃない。そうやって、給与差も少ないんですよね。しかし、上位5%の人達はその8割のエンジニアの代わりにガムシャラに必死に仕事しなければならないんですよ。それは5%の優秀なエンジニアへの差別だと思うんですよね。そっちの方が「可哀想」です。
最近、漸く理想としていた組織ができたんですよ。だから、来年から新卒を採用することにしたんです。
そうすると、優秀な技術者だけの組織が普通にそこにあれば、新人達にとっての理想像がそこにある。そうすると新人君にとっては「仕事とは!?」の答えが周りにある。そして自分自身も優秀なエンジニア集団の一員になることが必要なんだとわかる。
今の組織の構成は、私が51歳、そして下が47歳、41歳、35歳、30歳、25歳。ちょうど、5歳くらいずつ違う、バランスの良い分布のエンジニアがそれぞれちゃんと良い仕事するから、新人君にとっても環境はとても良いと思う。

はんだごてを置くことはない
私は51歳で一応~副社長なんだけど(笑)、普通51歳の役員で、回路設計はしてないですよ、CAD図面なんて描かないですよ(笑)。普通、マネージメントだけをしている。前職場では30過ぎたら、もう設計してないですよ。でも私は、うちのエンジニアに負けんくらい、今でも設計していますよ。たぶん、新ICの仕様書なんかは私が一番読んでいると思いますよ。
若い連中に負けたくないし、新しいことにチャレンジしていきたいし、私にしかできないこともある。それは、まだうまくいくかどうかもわからない様な新しい技術を国内・国外問わず図々しく、徹底的に事前調査する事。新しい技術なので、未だ誰もまとめきれていないんですよ。だから、整理された納得の行く資料すらも無い。断片的に色んな所から出てくる情報を一つ一つ確証をもって紡いでいくんですよ。もう、関係する会社や人に、片っ端からコンタクトして聞きまくる(笑)。これはもの凄く大変な作業なんよね。完全に理解できるまでには、平均で2~2.5年位掛かる。これまでにも途中で「ダメだった!」と断念したものが1年後経って、ある有力な情報を元に復活したって事もある。こう言う仕事は周りからの信用・信頼も必要なので、有る程度の年齢にならないと出来ないんですよ。優秀だからといって信用・信頼されるわけでもないですし。こう言うのは今の私の役割だと思っている。まあ、部下もある年齢に達したら出来る様になると思うけどね。なので、今の内から、若い技術者には取引先の社長やCTOなんかにも直接会わせてる。それが若い人達の来たるべき「信用と信頼」の糧に成る筈だから。
私は回路図も描くし、レイアウト図面も描きます。ライブラリも自分で作りますし。機構チームとソフトチームの調整もとるし、営業もする。なんでも関わって、それぞれが「広く浅くでも」できるようにしておく事で、2、3年後の会社の将来像のイメージができると思っている。優秀な若いエンジニア達に囲まれて、自分も負けない様に努力する。若い連中と同じ事をやって、若い連中から「ちゃんとやってくれ!」と言われる事もある(笑)。こう言う「今」が一番楽しい。私に出来る事は、コレまで通り、これからも自分が走っていく姿を若いエンジニア達に見せていくし、自分は最後まで、はんだごてを置くことはないと思う。
私は今でも、ずっと毎月電気の本を買って読んでるんよ。毎月2冊、定期購読の本を読んで、他にも本を読んで、ずーっと勉強・勉強ね。これって、興味と好奇心だけではダメなんよね。その「興味と好奇心」を継続する努力と苦労も求められるのよね。これがなかなか続かないんですよね。

エンジニアって、自分自信で良い事を追及していったら、その価値が評価される幸せな仕事なのよね。努力と知恵を皆が評価してくれるのよ。
営業の人って相手を納得させて、相手を動かす仕事でしょ。俺は無理やもんね。出来ない。本当に尊敬する。そう言うのが苦手な自分には、エンジニア職しか生きて行けないんよね。
エンジニアフレンドリーシティではね、技術って楽しいと思える人たちが集まる場にできたらいいんじゃないかなと思う。ここで勘違いしてもらっても困るんやけど(笑)。例えば、私は会社の従業員には「仕事は『厳しく』&『楽しく』」って言っている。これはね、自分自身には『厳しく』、周りとは『楽しく』って事だよ!って説明している。自分自身にも『楽しく』&周りとも『楽しく』では会社潰れちゃうからねって言ってる(笑) 優秀な5%の人材ってこの自分自身には『厳しく』って事が、『(厳しい)自己管理』だって事を言われ無くても自覚してるのよ。だから信用・信頼出来る。
そう言う意味で、自分自身の鍛錬の部分は『厳しく』やって、各エンジニア同士が『楽しく』集まれば、成果が出るのでは無いかな~って事ね。

あと、もう少し多く、学生との接点を持つ機会を設けるべきじゃないかって思う。
多分、彼ら学生さんにとって、社会人とは何なのか、仕事とは何なのかっていう事に触れていく心の準備が必要だと思う。そして、福岡の学生が東京に就職するんじゃなくって、福岡に定着してもらわないといけないって思うんですよ。

高専(高等専門学校)設置は僕の悲願
私は髙島市長にも言っているんだけど、
福岡市に高専を設置してもらうのが私の悲願。福岡市にないでしょ? 150万都市で高専に行きたいという想いを持った中学生が、片道1時間半とか2時間かけないと高専に行けない、寮に入るか一人暮らしをするしか無い、っていうのが不幸と思うんですよ。
技術の福岡市だ、エンジニアの福岡市だと言うためにも、福岡市内に高専の設置というのは、私の悲願中の悲願なんよね。これは如何なる手段を取ってでも、行政がやり遂げて欲しいと思う。国立らしいので、市では創れないそうなので、陳情でもなんでもよいです。是非達成してほしい。

かつて娘の同級生が、高専に行きたいって言っていたんですよ。でも一番近いのが久留米高専、ここから2時間ですよ。行けます? 無理ですよ。だから断念したんですよ。不幸だと思いません?
折角、将来には技術者になると覚悟を決めた立派で優秀な子供達が、普通科に行ってるんですよ。これが原因で、技術力が落ちているとも言えるんです。高専の子って、めっちゃ優秀なんですよ。うち(Braveridge)は、高専出身率が高い。高専卒は優遇してるくらい。
でもね、高専って5年制でしょ。高専卒で就職すると、専門学校卒扱いになってしまう。給料もそう。周りは大学卒で就職するから、高専卒って不遇なんですよ。高専卒と大学卒って、初任給が2万円違う。大学院生とだと+3万、だから5万違う。高専卒は優秀、頭がいい、仕事は大学卒や大学院卒よりも出来る。でも給料が安い。だからみんな、絶望して辞めていくんですよ。

しかも、そういうリスクを理解していても尚、中3・中2で、高専、技術の世界に行こうと決断する。
これはね、ティーンエージャーの14歳頃に、モラトリアムを既に卒業しているっていうことなんですよ。今、大学生に、あなた将来何の仕事をしたいですかって聞いたら、ほとんどがまだモラトリアムですよ。普通科を経由して大学に行った若者が20歳の時点で、5年前にモラトリアムを卒業して鍛えられた高専出身者に勝てると思います?5年の技術実績の差は一生追いつけないと思うよ。この13歳、14歳の時点で、既に目標を明確に持っている子供達を受け止める高専が、150万都市にない。これは大問題だと思うんですよね。

私は将来に渡って、「エンジニアフレンドリーシティ福岡」を成功させる大きなテーマの一つが、高専の誘致と思うよ。これは将来の福岡のグランドデザインの一丁目一番地だと思うので、ぜひ達成してほしい。
そして、我々企業家は、本物のエンジニアを育て、成長させ続けることができる環境=企業(Braveridge)を成長させるというのが、私の目指す夢であり責任だと思っている。

なんか自分がどんどんしゃべっちゃって申し訳ない。本来の質問の順番に応えていきたいんだけど(笑)。

小橋さんの特徴、PRできる点
私は元々九州芸術工科大学の画像設計科出身で、大学では一切電気のことを学んでいない。技術者ではなかったんですよ。趣味で、好きでやっていただけ。未だに趣味が電子工作で、仕事と全く同じ(笑)。だから仕事が楽しくてしょうがない。今でも、何やっても面白い。やりたいことがありすぎて、時間が足りないくらい。それにしても、私は大学で一切電気の授業が無かったわけなんだけど、大学で4~6年?勉強した人がなぜ私に技術力で負けてるの?って思う(笑)。
悔しかったら、頑張りましょうねってことです。

私の独立を勧めてくれたのは、アメリカ駐在の頃に出会ったアリゾナ大学MBAを首席で卒業したアメリカ人。彼からいろいろ教えてもらった。その後、私もアリゾナ大学のMBAを取ろうって相談したんです。すると、彼は、「お前が今からMBA取りに行っても、学ぶことは一つもない。お前には全部教えたから、独立しろ」って言われた。これが独立のきっかけ。
その人が教えてくれたことが、「技術と捉えるな、ビジネスと捉えろ」と。日本人が勝負してアメリカ人が勝つには、「ビジネス哲学」があるかどうか。これに終始しろと言われた。

彼(師匠の一人)曰く、ビジネスには3つの段階しかない。「知識」:これはみんなある。インターネット開けばほぼ全ての知識は埋められる。次に、この「知識」の中から「知恵」を生み出す能力。これがアメリカ人の18%ができる。これがマネージャークラスで、年収1千万クラス。これが第一ステップ。
そして、その生み出した「知恵」から「お金」を生み出すことができる人がエグゼクティブ。、これが、アメリカ人で3%居て、年収3千万以上。つまりこの「知識・知恵・お金」、これらのステップを踏むのがが「ビジネス」。お前はこれを実践しろと。
ついでに師匠が、「日本企業が、なぜアメリカ企業に負けてるか。分かるか?」と。彼の答えは、日本では、「知識」から「知恵」を生み出すのが5%しかいない。そして「知恵」から「お金」を生み出すことができる人が1000人中1人いるかどうか。これが、日本が負けている理由よ!って。
これは、本当に当たっていると思うし、心当たりも多いんよね。だから、私はこのビジネス理論を愚直に広範囲に実践しています。
「それは知恵か?知識か?単なる知識を知恵と勘違いしてないか!?」って何時も自問自答している。

よく、「うちはいいモノを作っているんですけどね、売れないんですよ。小橋君!良い物作っても売れないんよ!分かってる?」って言ってくる経営者が居るんですよ。でも師匠の哲学を愚直にずっと実践してきている自分からしたら、、その人は「私には、お金にする才能がないんです」って自分で言っているようにしか聞こえないんですよ(笑)。だから自分はこういった言い訳は絶対にしないようにしている。どうです? 私って面倒クサイ性格でしょ!(笑)

自分の特徴を一言でいうとすれば、常になんにでも『哲学』があるって思ってる所かな~。「回路設計哲学」・「基板レイアウト哲学」・「仕事の進め方哲学」・「企画哲学」・「人間関係哲学」・「対外コミュニケーション哲学」等々。なんでもソコには『(時代毎・場面毎・対象毎の)哲学』がある筈で、それを言葉に表したいっていう思いがもの凄く強いんですよ。きっとそう言う哲学みたいなのがある筈だって信じている。またそれって、時代や時間や立場に応じて臨機応変に変化するもんだとも思っているので、半年前と180度違う事言ったりもしますけどね(笑)。まあ、いまだに成長してる証拠よ!って言い放ってます(笑)。
そしてそれら各哲学は自分で見つけ出さないと世の中に正しい答えは無いと思っているので、経営書とか成功者の本とかは一切、読まないんよね。
まあ、本の中身が正しいんだったら、皆同じようにやれば成功してますからね。そういう訳では無い事実は、それらの本は「真理(哲学)」を射貫いてないって事でしょ!?と思う。無いからこそ、自分で見つけたいんですよ。
まあ、それは他の人には全く役に立たないかもしれませんけどね(笑)。

これまで積み重ねてきた技術的知識が私のスキル
「やった事がある事はできる(やる)」とか「やり方を教えてくれたら出来る」とか「やった事が無いので不安です」とか言う人に良く出会うんですよ。これが本当に不思議で。「仕事とは、何をしたらよいのか?どうすれば良いのか分からない事をする」ものだと思うんですよ。部下に仕事を頼むにも「私も分からない事」を部下に頼んでいるんです。 もし、私が分かっていたら、他人に頼まず、自分でやりますよね!(笑)
私でも分からない事を頼んでいるので、頼まれた方は自信をもってチャレンジ出来るじゃ無いですか。だって、私よりも分かる事になるんですよ。しかも責任をもってやれば自分が一番詳しいんですから。これならば、怒られる心配も無いでしょ(笑)。
やり方を知っている事だけをやりたいって言うのは、誰でも出来る「作業」しかやりたくない!って言っているのと同じなんですよ。それは、エンジニアリングじゃないでしょ!でも結構そう言う人多いんです。チャレンジが嫌いっていうのか、分からない事をする事に不安を感じるからなのか。ほんと、こう言うのは理解できないんよね。 み~んな周りのエンジニアが分からないんだから、最高じゃないですか!(笑)。そして、ちょっとずつ理解していって、積み上げていけば良いだけですよね。そしたら自分がその分野で一番分かっている人に成り得る。これがエンジニアリングであって、仕事ですよね。

これが私のポリシーなんですよ。私ですら元々「スキル」なんて無いんですよ。まあ、多少鍛えた知識や知恵はあるんですけどね。それは年齢によるもの。そもそも「技術」ってのは、ドライバーやペンチといった工具みたいなモノなのよ。必要な工具は何かを考え、揃える。そして、その工具の使い方を学び、慣れる。そして、その工具の使い方を学んで慣れて、モノを創り上げる。技術なんて、こう言うもんでしょ。
「俺は立派な工具を持ってる!」と言っても、揃えて飾っているだけってのはダメで、それをどう使うのかが大事。宮大工が、昔から引き継いだカンナとか金づちとか、常日頃から手入れも欠かさず、腕も落ちない様に磨いていますよね。それらを怠れば、良いモノは作れません。それと一緒だと考えてる。私は、若い頃に比べれば、多少立派な道具を揃えてるし、道具の使い方も鍛えてる。そう言うのをずっと続けてきているので、若いエンジニアよりはより良いモノを作れる筈です。工具を手入れして、使い方やノウハウも当然沢山あるわけですよ。こういう小さな事を何年も掛けてミルフィーユの様に積み重ねた結果が、取り敢えず今の自分なんだと思っている。
更に言うと、その長年の積み重ねがなければ見えない世界ってのも当然あるわけですよ。取引先やパートナーの方々はそう言う部分も見ている筈です。それが信用と信頼の根拠になるんじゃないかな~。

きっと今の仕事って、20年前の私じゃ出来ないですよ。10年前の私でも、無理だろな~。長いことずっと積み重ねてきたからこそ、今だから出来ることがある。これこそがエンジニアの仕事でしょ!って言いたい。

セミナー受けたから、本読んだから、教えて貰ったから、さあ明日からバッチリ出来る!なんてことは世の中には一つも無いですよ。

よく若い人がね、「自分には向いてない」って直ぐ言うのよ。昔から、そういう人は結構居るので、今の若者が、とは思わない。こんな事を言う人たちってね、ゴルフを始める事に誘われて初めて道具買って行っても、200ぐらい叩くでしょ。すると、一緒にプレイしている経験者からは、急かされたり、叱られたりする。楽しくないでしょ? でもゴルフって、家族との週末を犠牲にしてでも(笑)、ずっと練習して、本読んで、トレーニング受けて、打ちっ放し行って、バカにされつつも、ずっと頑張っていった先の先に、ようやく100切れるくらいになったら、楽しく思える。
仕事も同じですよ。いきなり最初から楽しく思えるなんてないでしょ。技術者ってそうやってずっと蓄積して、痛い思いもして、悪い思いもして、バカにされながらも、恥かいて、怒られ、行きつくところに、見えてくるものもある。

スキルってそういうものかなって。

最近の技術者って、技術は分からなくてもマネージメントだけをやれば、創りたいものが出来るっていう悪しき風潮が流行ってるんです。広まってると言った方がいいかな。実務としての設計は外注でよいと思ってる。その「外注管理=マネージメント」って企業風土がもの凄く増えているんですよ。色んな所で優秀なエンジニアの愚痴を耳にする。この悪しき風潮は必ず10年後に手痛いしっぺ返しを受ける筈。中国や他国に技術力で圧倒的に負ける日が近いと思うんですよね。
私の取引先企業やパートナーの殆どは優秀な企業であり高い技術を持っているんですよ。そう言う人達からもクライアントの一方的で技術的ではない要求に苦しめられているんですよ。少なくとも、頼む側にも技術を理解しておいて貰わないと良いモノは出来ませんからね。ベンチャー企業やスタートアップ企業もそう言う場面で苦しめられているって良く聞く。しかも技術を使ってモノを創り上げるって、そりゃ~楽しいですけど、大変なんですよ。実際は。

「技術は分からないので、お任せします!」と言いつつ、文句やクレームはするなんてのは、ホントに困るんですよね。私はクライアントにも必ず技術面も理解して貰うようにしてます。頼む側にも、頼まれる側にもスキルを上げてお互いが理解し納得する必要があるんですよ。「わかんな~い!」では困るんです。
私達エンジニアも分厚い仕様書を読んで、日々プロとしてスキルを上げる努力をしている。しかし、クライアント側もそれを理解して貰わないと決して巧くいきません。「お金を払って技術者に丸投げしておれば、自分は理解しなくとも、良いモノがでてくるのは当然」なんてのは、早々に止めて日本全体の底上げをしていかないと海外勢に負けてしまいますよ。

私達プロのエンジニアは、顧客や取引先の教育や理解も含め、スキルを積み重ねて行く宿命なんですかね。しかし、最近はクライアント側でも、もの凄く理解しておられる方が登場するケースが増えてきています。ここ1年位で一気に変わって来た感じがします。なので、きっと明るい未来が開けると信じて欲しいんですよね。

尊敬するエンジニア
目標とする人はいないかな…しいて言えば、ノルウェーのNordic Semiconductor社って、BluetoothのIC開発会社で、技術責任者でICの企画をずっとしてきた、トーマスっていう人がいたんですよ。彼は本当にすごい人。
自分はICの仕様を見て使ってみて、作り手がどういう想いをもって作ってきたのかと読み解くのが好きなんだけど、彼のICは、そこのメッセージが強烈なんですよ。どこまで先を読んでいるんだ!って。使う側のエンジニアにチャレンジして来てるんですよ。でね、これがまた、そのメッセージを仕様書に書かないんですよ。このメリットはこれですよって、書かない。黙っているわけ。ずっと使って使いこなしていくと、仕様書に書かれていない凄い事実に気付くことがある。そういうのがしょっちゅう(笑)。自分達も最初は気づいていないんですよ。去年も、ソフトエンジニアの一人が、「小橋さん、とんでもないのを見つけましたよ」って言うんですよ。「今気付いたんですが、こういう秘密が隠されてるんですよ!」って。そして、自分達がそのICを使い続ける事が一番合理的だと、改めて気付かされるんです。

使用するエンジニアが求めてるのは、必要なのは、これでしょって、さらっとICの中に仕込んでいる。つまり、彼はエンジニアでもあり、立派なビジネスマンなんです。ちゃんと分っているビジネスマンが作ったICなんですよ。
ノルディックジャパンの社長も、あいつだけはすごいって言っていますよ。彼はすごい。本当に尊敬するのは、彼かな。

対等にやっていける人と一緒に働きたい
私は基本的に誰とでも仕事するのはOKなんですよ。ただ私は、Win-Winっていう言葉を『目標』として言われるのが嫌いなんですよ。私にとってのWin-Winっていうのは、単なる『結果』だと思うんです。プロジェクトが終わって、振り返ったら、あ~結果Win-Winだったね~って。Win-Winを目標にすることではないって思っているんですよ。安易にWin-Winを語る人は、だいたい自分は何もしないというのが多いんです。私たちも汗かいて頑張っている。あなたはどこで汗かきますかって聞く。お互い、がむしゃらに頑張っていけば、きっとうまくいく。うまくいくために、知恵も絞る。そして本当にうまくいったら、これこそ「お互いWin-Winの結果」に成ったねって振り返る言葉なんですよ。
一緒に知恵を絞って、問題解決をするっていう人とは、仕事をしたいですね。一緒に汗をかいて、泥だらけになってやったら、すごく満足のいく結果が出るし、売り上げも利益もいいものが出る。だから一方的な人とはやりたくない。みんなで力を合わせてやれる人とやりたいよね。気持ちよく仕事ができるから。

私は縦社会が嫌いで、みんなフラットでやりたい。部品のサプライヤーさんとか、協力工場さんとか、関係のある会社さん、私は彼らに対して、上から目線で言ったことは一回もないですよ。何時でも対等です。だから、そういった会社さんで私に対する文句を言う人は誰もいない筈ですよ。

実をいうとね、技術と工場という関係をイメージすると、殆どの技術者は、工場は下請けというイメージが強いんですよ。工場は、技術者の下っていう感覚。これが最悪なんですが、結構根強いし根深いんです。例えば、配属先が工場になったら、都落ちっていう感覚があるんですよ。だから工場に行くのが嫌い。下って見ているから。至る所で見るし、中国製造業者に対しても同じ様にやってるのが殆どなんです。

ところが私は松下時代から、九州管内に沢山あった協力工場さんとはずっと対等な関係でやっていた。これは今の会社でもそう。部下にもそれを教育してますし、私と部下との関係も、皆が対等。
だから、相手を下に見るのも嫌い。工場も技術も対等。技術者も工場も、同じ従業員。だかこそ、信用・信頼してもらえていると思うんですよね。

福岡の若いエンジニア達と飲みに行っても、対等。対等に仕事をする生き残りを賭けた、サバンナ草原に放たれた者同士ね(笑)。年齢なんか関係無く、仲間みたいなもんですよ。そこに上下関係ない筈ですよ。年上の人にも全然遠慮しないですよ。同じサバンナに放たれた者同士。若者や年長者から順番に食べられるなんて事は無いでしょ(笑)。上場企業のCTOさんだろうが、社長さんだろうが、絶対特別扱いしない。

関連企業さんとも、私たちが果たさなければならない責任はちゃんと果たしているので、正直に言えると思うんですよね。そういう風にフラットにやっていける人が、自分が一緒にやっていきたい人。

会社で使っちゃいけない言葉
会社ではね、みんなに使っちゃいけない言葉を4つ決めている。
それは、「はい」「なるほど」「すいません」「すぐやります」。
この4つは絶対使うなと。厳禁です!(笑)。
上司が命令すると、「はい」って言うでしょ。あれこれ説明していると、「なるほど」って言うでしょ。すると私はすかさず、「なるほどって言ったよね?じゃあ、理解したんだから、ホワイトボードに書いてみて!」って言う。すると、「いやー、そこまでは(理解してません)」って言うんですよ。いやいや、「なるほど」って言っただろ?って(笑)。

この4つの言葉って、なくても話ができるんですよ。「こうでしょ?」って言ったら、「はい」ではなくって、「ちょっと待って、それって、こういうこと?」と確認すれば良いだけ。「そうよ。」これで終わり。つまり、話なんか聞いてないんですよ。
「すいません」って、そう言わないように仕事をすればいいでしょ?
「すぐやります」って、そういう事態にならないように仕事をすればいいでしょ?
この4つの言葉は、使わなくても仕事ができる。だから私も言いません。絶対に謝らない(笑)。

福岡市はヒエラルキーがない
福岡で働く環境で、悪いところは無いからね~(笑)。一般的に言えば空港が近いだの、暮らしやすいだの、飯がうまいだのあるけど、もうちょっと言うと、福岡って東京と比べて、ヒエラルキーがないと思うんですよ。東京って、お金持ちしか行けないところって、あるじゃないですか。な~んか縦社会を感じるんですよね。でも福岡って、中洲で飲んでいれば、芸能人だろうがスポーツ選手だろうが、若者だろうが、全く境がないって感じ(笑)。今日は、華丸・大吉が来とるんやね~って感じで(笑)。有名かどうか、お金持ちかどうか、またそれにあやかろうなんて感じも少ない。こう言うのはホントに気楽(笑)
たま~にそう言う雰囲気を醸し出す人が居ると、ガブッと噛みついちゃう(笑)

衣食住全般に激しいヒエラルキーがない所って、福岡しかないと思うんですよ。特別扱いすることもないのが好きなんですよ。お金持ちしか集まれないエリアとか、店とか殆どないでしょ? 対等にみんな、平等ですよっていうのが、福岡が好きなのがそこ。だから仕事もヒエラルキー無しで!って感じ(笑)。

今後の目標
私たちのような会社って、少ないと思うんですよ。開発も、量産も工場もやっているって。
私は90年代までは輝いていた家電業界の輝きを、自社ができる範囲内で、復活させたいと思ってるんですよ。私達のやり方で。あの輝いていた頃の延長線上で、Braveridgeのグランドデザインを描きたいと思ってるんですよ。
だから、会社を大きくしないといけないと思うし、将来 従業員の給料も上げてやりたいし、この会社に来てよかったと思ってもらいたい。これが目標かな~、と思いますね。この会社に来てくれた優秀な従業員たちに、ここに来てよかったって思える環境づくり、将来の希望、ビジョンを描いて示して、御家族にも安心してもらえるような会社にしたいですね。多分その頃には、私は死んでいると思うけど(大笑)。

今後、海外を含めて、無線の技術に関して、開発・製造したかったら、福岡に行け!っていうのを、どんどん広めていきたいですね。吉田君(社長)なんかは、糸島に工場を竣工したので、あそこを、日本の深センにするって言ってるんですよ。モノづくり、無線開発、製造、これを福岡のBraveridgeに行けば、何とかしてくれる、という存在になりたいと思っていますね。

苦労したこと。
やっぱり信頼信用ですね。
吉田君とゼロから始めた時はね、全く信用も信頼もない泡沫会社だったんですよ。
会社って、相手からの評価指標があると思うんですよ。相手からの信頼と信用。これが本当に長くて辛かったですね。先のゴルフの話と一緒ですよ。そして、年を経る毎に、少しずつ相手からの信用と信頼がミルフィーユのように積み重なってくる。
創業時には、小さな会社と言うことで嫌な思いしたこともありますし、使いこなすのが難しいICを使いこなして、創りたいモノがあったとしても、全く相手にされなかったこともあるんですよ。それも最近まであった。
Bluetooth Low Energyなんてね、世界中の全半導体メーカーからサポートを断られましたからね(笑)。7年前。アメリカ、ヨーロッパ、中国、台湾、韓国、日本の、Bluetooth Low EnergyのICをリリースしている半導体メーカー全部に声かけて、全部から断られました(笑)。ICから開発するのは止めてくださいって。サポートできませんからって。それが今や逆なんですけどね(笑)

その時唯一、Nordic Semiconductor社の1社だけが、一緒にやりましょうって言ってくださった。私ね、直接ノルウェーの本社にメールしたんですよ。こういうことをやりたいって。だから協力してほしいって。そしたらノルディックジャパンの山崎さんが東京から飛んできたんです。私が一生懸命、8時間位ずっと将来の短距離通信技術の分析とBluetooth Low Energyへの期待と弊社のようなマイクロ企業がやるべき責任について、とことん話し込んだんです。
そして、弊社を、モジュールパートナーの一つに入れてくれたんですよ。当時のパートナー会社が、太陽誘電さん、ホシデンさん、富士通コンポーネントさん、SMKさん。この4社って大物ですよ。5番目に、聞いたことのない『Braveridge』っていう泡沫企業が入ったんですよ(笑)。

今や弊社は、国内のBLEモジュール業界は多分2位くらいの筈です。少なくとも、儲かってる順番で言えば一位かな(笑)。他社は儲かってないらしいです(笑)。でも弊社が一番安いんですけどね(笑)。

だから尊敬する人はトーマス氏だと話したけど、我々を拾ってくれた、ノルディックジャパンの山崎さんも外せませんね。山崎さんには足を向けて寝られない。我々の成長のきっかけを察知して、期待してくれた人なんですよ。

そう言う話をしていて、良く考えてみたら、技術者以外では、私の人生の岐路で正しい道へ導いてくれた方々は結構居ますね。その中の一人が大阪に居るんです。一度「先生!」って言ったら「先生と言われる程、バカじゃ無し!」と言われて(笑)、それから、「師匠」って言ってます(笑)。まあそう言う師匠達も私と似た者同士なんですけどね(笑)。
こう言った師匠達は、常々尊敬しています。また、この師匠達は老若男女色々居られまして、職種も事業内容も様々です。

あ、元々苦労の話やったね。ゴメンゴメン(笑)。
まあ、苦労や苦悩は「苦痛」では無いからね。またその「苦痛」もどうせ長くは続かないんで、嫌な事態や事象や経験はなるべく早く「笑い」で成仏させれば良いって思ってる。中には成仏させるのに3年位掛かる痛みもあるけど、頑張って3年掛けてでも成仏させれば、後は、酒席での笑い話に変えれるでしょ。人生ってそんなもんやろ~って思ってる。

出会いっていうのは、すごく重要。

さっきも言ったけど、仕事や普段の生活においても、人生の岐路に登場し、きっかけになるようなサインをくれる人達(人生の師匠)がいるんですよね。自分だけ必死にもがいて頑張っているって思っていても、必ずその切っ掛けをくれる他人との出会いが、その後の自分の人生を左右している。その岐路で出会った「師匠」って、それまでの私の『哲学』とは違ったモノを持ってるんよ。それは、小さいながらも影響力の大きいものもあれば、いきなりガツンと大きく効くものもある。

仕事がやりがい。好奇心と興味が尽きることがない。
私は元々九州芸術工科大学の画像設計科出身で、大学では一切電気のことを教えてもらっていない。元々、好奇心がめちゃくちゃ旺盛で、凝り性なんです。いい所でもあるし悪い所でもある。
実は、一浪して関東の電子工学科に入学後、1ヶ月で「こんな事をするために頑張ってきたんじゃない!」って退学し、2浪して芸工大に入ったんですよ。だから、電気・電子なんて全く興味も好奇心も無かった。しかし、希望する芸術系の大学に入ったものの、一般教養がつまんなくて、年上の友人に「何か、未知・無知な趣味ないの?」って聞いたんですよ。1年の冬。
すると、その友人が「電子工作をしてみたら?」って勧められたのがこの業界で働く事になる最初のきっかけなんです。この友人とは今でも続いている尊敬する友人なんですけど、彼との出会いも人生に大きな影響をもらったと思ってる。その時は「え?あのハンダゴテとか使って作るやつでしょ?あんなの、何がオモロイの?」って答えたのを覚えてる(笑)。そして勧められたのが、真空管アンプのキット。39,500円だったんですよ。高いでしょ(笑) 買うまでに2週間悩んだ(笑)

それでね、完成して最初に聞いたのが、レッドツェッペリンの「天国への階段」だったんですけど、あの時の感動は30年経ってもまだ残っています。その音を聞いた瞬間に、「面白い~~~!これ!!!!!」ってガツンときたんです。

自分で作ったモノから音楽が聴ける事への感動が強すぎて、組み立てたアンプを再びバラして、また作るんですよ。解体と再組立に寝ずに24時間没頭するんですよ(笑)。そして、また音楽を聴いて感動する。そして、さらに再びバラす。これをね、8回位繰り返しましたね。
次に、私の友人も電子工作マニアなんだけど、福岡に真空管ショップがあるので一緒に行こうって事に成り、その後はドップリ(笑)。そのショップではお金持ちの叔父様連中ばかりなんですよ。で、私が一番若い客。良く、可愛がって貰いましたよ。そこでの出会いも今の人生に影響してると思う。

そして、暫くしたら「自分自身で設計してみたい!」と思うように成って、独学で電子工学の本を読みまくりです。最初はホントに全く理解出来なかった。ある本なんか30回位は読み返したと思う。もうバイブルですよ!(笑)

その後、プロのエンジニアになったんですが、よくよく振り返ってみたら、一浪して入学した電子工学科を完全否定して、望んだ芸術系に入って、自らその否定した電子工学の道を勝手に独学で邁進してしまって居たという(笑)。訳の分からない人生です(笑)。なので、娘が大学に入学したときも、自分の経験を話して「大学なんてのはそう言うもんだから(笑)。人生なんか分からんよ。大学在籍中に何かに出会えるように頑張りなさい」って言いました(笑)。

あ、そうそう。そういえば、大事な話がもう一つあるんよね。エンジニアだけの話じゃあ無いとは思うんですけどね。エンジニアの世界では、仕事が凄く出来る優秀な人に可愛がられないといけないって事も重要なんですよ。仕事が出来ない先輩や上司には、可愛がられなくても良いんですよ(笑)。この、「可愛がる」って言うのは好き嫌いの話では無くて、その職人技とも言える技術を持っているエンジニアが皆、伝える価値がある若者かどうかを見極めてるんですよ。そして、その基準には、明確な線引きがあるんです。これはね、必死になって吸収しようという意気込みや覚悟があるかどうかを見ているんです。優秀な人って、全てお見通しなんです。表面だけ分かれば良しとする若者と、理屈や理論までも吸収したいと必死な努力をしている若者とを正確に見定められるんです。そして浅い若者にはトコトン冷たい(笑)。深い若者にはトコトン優しい(笑)。 若者が、自分は出来る奴だと信じていても、判断するのはその優秀な人側なんですよね。また、これは取引先に関しても同じ。「一緒に仕事をやる価値があるかどうか?」を分析されてますよね。当然です。相手に可愛がられないと仕事は巧く行かないもんです。
私は年長者にも敬語すら使わないような図々しい若者だったのだけど、いつも一生懸命だったし、教えて貰った事は完全に理解するまでしつこく質問してたんですよ。なので、もの凄く可愛がられたと思ってる。独立してからも、取引先からは、本当に可愛がられたと思いますね。それもこれも、一生懸命に必死に覚悟を持ってやっているかどうかを常に見られていると思ってるんですよ。
ま、全く合わない人もたまには居ますけどね(笑)。

批判と反論は違う。反論はウェルカム
私は部下に、必ずなにか「反論しろ!」って言ってます。反論は、議論のたたき台だから。でも、批判はダメですよって。これは議論を深める為と、議論するトレーニングと、人の話をちゃんと理解するトレーニングなんですよ。誰もが100点取れる訳では無いので、必ずなにか落ち度や見落としもあるんです。それを見逃したら大変な事になる。すると相手の話に集中しないと反論はできないからね。なので、「反論」を是としているんです。つまり、安易に同意していては良い議論はできませんし、反論するには良く話を聞かないとできません。質問も反論の内ですよと。もともと、礼節と謙虚さがある人は「批判」をしません。より良き議論をしないと、正しい最終解はでませんよね。
だいたい品質問題の根っこはコレなんですよ。テキトウに聞いていて、後から問題になるんですよ。
人の集まってるところで講演したりすることが多いんですけど、その際には必ずこれを言うんです。批判と反論は違いますよって言う。批判は禁止だけど、反論はウェルカム。ガチンコでやっていかないと議論は深まらないし、表面的な当たり前の反論無き議論ばかりやっていては、東京にも勝てないし、世界にも勝てないよって言ってるんですよ。
同調圧力を排除して、批判でなく反論で議論する雰囲気がとても重要だと思うんです。

批判は無しで、反論は良いよ。これはお互いの度量も試されるんですよ。最近は、批判と反論がゴッチャに成っている人が多いので、私も気を使うんですよね。

本当のエンジニアフレンドリーシティって、仲良しこよしじゃなくって、反論上等って前提で、批判はせずに、議論し合う関係なんじゃ無いかな~と思うんです。
これができれば、この取組みは、うまくいくんじゃないかって思うんですよ。これは、とても大事。より良き成果を目指していく中に、やっぱり活発に議論し合える仲にしたいんですよ。だって、この福岡の地で優秀なエンジニアが集まって、お互い切磋琢磨して、エンジニアの明るい将来を築こうって取組だと思うんです。お仲間同士のパネルディスカッションでお互いに気を使いながら語り合ってる内容って聞く価値無いでしょ!?あんな感じではダメなんよね。本音が出ないので、何も得るものが無い。ボクシングもそうでしょ?殴り合っても終わったら握手するでしょ?抱き合うでしょ? なかなか難しいかもしれませんけど、日本全国のエンジニアの集まりで、そういう場が、無いと思うんですよ。私も口は悪いですが(笑)、一応、礼節を持って、お付き合いをしますからね(笑)。

SNSとかで、かなり汚い言葉が溢れてるでしょ。あれは批判だからなんですよ。批判じゃ何も生まれないんですよ。でも、反論ならば議論になりますよね。そのような取組みが実を結べば、凄い成果を生むような気がするんですよね。

こんなもんでいいっすか?()

小橋さん略歴

九州芸術工科大学 画像設計学科に在籍中、友人からの勧めにより電子工作にはまる。
大学卒業後、九州松下電器に入社、九州松下電器では、無線技術を中心とした回路設計に従事。アメリカ駐在を経て、独立。
数々の苦労を経験しながら、2004年に現在の「Braveridge」を創業。モノづくりの会社として、高い評価を受けている(と良いなw)。

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